ないものねだり
今、隣で友人が彼氏と電話で喧嘩をしている。
「お前あたしがそう言ったの覚えてる?」だとか、たくさん文句を言って。
私は正直そんな言い合いを聞いて羨ましいと思っているし私も喧嘩したい!!という気分にさえなる。笑笑
友達がこの後喧嘩の電話が終わり、私が「いいね、羨ましい」と言うと「は、どこが?」と返すのが当たり前なんだろうなあ。
私の好きな人は売った喧嘩は買ってくれない、流してくるよ、そんな話をしたらきっと彼女は「温厚で落ち着いた人なんだね」と言うんだろうな。
最近、人間はないものねだりだなあと感じることがとくに多い。
というのも、今持ってないものは過去に持ってたし今求めていることは過去完全に満たされていた。じゃあその「過去」に私が求めていたのは、持ちたいと思っていたのはなんだろう
そう考えた時、今現在持っているものや満たされていることだったと思い出したりする。
「ない」ものに対して執着があると、どこまでいっても満足はしない。ただその満足しない事柄を快楽としているのだと思うと全てが完璧じゃつまらないのは当たり前なのだとおもって。
足りないものがあるから、面白い。
でも「ないもの"ねだり"」っていうの不思議!
ねだっているんじゃなくてそれに対して本当は快楽を感じているはずなのになあ
ほのを。